銀座三丁目「煉瓦亭」の平成31年のカレンダーは、
昨年1月に83年間という歴史に幕を閉じたグランドキャバレー、銀座「白いばら」です。
この白い薔薇の歴史は1935年に大住米太郎が創業した「カフェー ニュータイガー」にはじまります。
翌年1936年にはあの226事件の青年将校が前日の2月25日に来店するも、激昂し軍刀で店内の観葉植物を切り捨て「明日の新聞を楽しみしていろ!」と言い放ち店内を後にしたとか。
じつは、私の祖父は神職はせず長州藩士の嫡子で逓信省の高官だった曽祖父に倣い明治政府逓信省の包括局(愛宕山のNHK)に勤務していましたが、
毎晩銀座に入り浸り、カフェーと玉突き(ビリヤード)をしていたので、自然と銀座のカフェーの女給さんと恋仲となりました。そして私の父が生まれたのです。銀座がなければ父が生まれていなかったわけで、銀座には大変感謝しております。
で、私の祖母は銀座のカフェーの女給さんだったわけです(笑)。
話しを昨年1月に長い歴史に幕を閉じたグランドキャバレー「白いばら」に戻しますと、
昨年1月に栗城史多氏が、「西邑さーん、僕も白い薔薇に行きたいんですけど一緒に行きませんか?」
と言うので、閉店前の予約困難な白いばらを予約し、2人で来店しました。
ものすごく喜んでいた顔を今も思い出します。
因みに私を白いばらに誘ってくれた恩人が、銀座三丁目のK田さんでした(笑)。