昭和20(1945)年8月8日を私達日本人が絶対忘れてはいけない。ソ連国が日本国を屈辱した日だという事を。
8月6日に米国が人間が住む町に人類発の原子爆弾を投下し大虐殺をしたその2日後の本日8月8日にソ連(現 露西亜国)の戦車部隊や空軍が日本人が住む満州に侵攻しました。日ソ不可侵条約を締結していた日本国にとっては不意打ちで、原爆により疲弊してる日本との条約を一方的に破棄するというのは卑怯極まりない国であります。
更には米国とソ連との覇権争いが始まっていたのです。
当時満州国ハルピンに住み高等文官(外交官)であった私の祖父狩野孝一は、妻と娘と幼少の息子を先に満鉄に乗せ、ソ連が侵攻した後も関東軍の後処理をして数ヶ月後に日本に帰国しました。あの時代、満州に残留した日本軍人は全てシベリアに抑留されたのですが、祖父はソ連とどのような交渉をして数ヶ月日本へ帰国したのか。
帰国後しばらくして、祖父が娘である私の母に言った一言が今思い出されます。「外交とはその国の民族性を理解しなくてはできない」「仏国は古来から戦好きの血があり、露西亜は虚言の民族性がある。松岡は条約を締結する時にスターリンの笑みの深意を見抜けなかった」と。
満州から帰国した私の祖父はG.H.Qの諜報部に所属し都内でソ連関連の諜報活動をする事となる。